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[Narration]
ホールのそのいちばん上で、少女はすでに、その階の下で待つ人物に気がついていた。
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[Narration]
自分と、その人物以外、人気のないホールの階段をゆっくりと降りていく。
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[Narration]
名残を惜しむように、そして、できるだけ、その人物を待たせるように。
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[Narration]
やがて、階段のいちばん下までたどり着いた時、少女はやっと、その人物の名を呼んだ。
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[Aisha]
杏里……。
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[Anri]
やぁ、アイーシャ。見送りに来たよ。
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[Narration]
桟橋のいちばん海よりに立っていた杏里が、アイーシャを迎えるために、階段の方へと歩み寄る。
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[Aisha]
よかった……、来てくれたのね。
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[Anri]
うん……。もちろんだよ。
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[Narration]
この船から港へと人を運ぶ小型船の船員は、慣例に従って、船内にさがり、姿を見せない。
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[Narration]
今、オペラハウスさながらのこの巨大なエントランスホールに、姿を見せているのは杏里とアイーシャの二人だけだった。
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[Anri]
ボクの他に、見送りはいないの?
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[Aisha]
ええ。他のみんなには、部屋をまわって、お別れをしてきたわ。そして、お願いしてきたの。最後に、杏里を独り占めさせてって。
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[Anri]
……光栄だな。この船で最後にキミを見送れるのだから。
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[Aisha]
そうね、最後ね。
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[Narration]
アイーシャの脇に立った杏里は、そっとアイーシャの手を取る。手のひらの熱がゆっくりと入り交じるくらいの強さで、アイーシャはその手を握り返す。
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[Aisha]
あっという間の1年だったわ……。
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[Aisha]
ううん……、杏里とあってからの季節があっという間だった。
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[Anri]
少し、残念にも思うね。キミがもし、サードクラスにスキップしていなければ、もう一回り、同じ季節を過ごすことができたのに。
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[Aisha]
そうね。でも……。
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[Aisha]
もし、スキップしていなければ、杏里に会えなかったかもしれないわ。
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[Anri]
そうだろうか?ボクはきっと、キミを探し当ててみせるよ。
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[Aisha]
そうかもしれない。でも、私は、今の私が、杏里に会えたのがうれしいわ。
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[Narration]
そっと、アイーシャは杏里の肩に頭を寄せる。
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[Narration]
すぐ横に立つ杏里に、自分の体をわずかに預ける。
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[Aisha]
私、杏里に会えて、うれしかった。
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[Aisha]
杏里に、好きと言われて、うれしかった。
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[Aisha]
杏里に愛してもらえて、うれしかった。
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[Aisha]
あなたを、愛してるわ、杏里。それが、とても、とても、うれしいの……。
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[Narration]
そのまま、はら、はらとアイーシャはゆっくりと涙をこぼす。
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[Aisha]
お別れはとてもつらいけど、あなたに会えたから、あなたと過ごした日々があるから、こんなにも、涙が、止まらないのよ。
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[Narration]
わずかに、かしぐアイーシャの体を、杏里はそっと受け止めている。
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[Aisha]
あなたに会えなかった自分なんて、想像ができない。いいえ、そんな自分など、存在しないわ。
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[Aisha]
だって、あなたは、砕けてしまっていた私を、取り戻してくれたんだもの……。
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[Aisha]
明日から……、日常の中にあなたがいなくなるの。それはきっと、とてもさびしいことだけど……。
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[Aisha]
でも、耐えられるわ。今の気持ちは決して消えない。もう、最後なのに、あなたがいちばん愛おしい。それが私を支えてくれるの。
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[Anri]
ボクもだよ、アイーシャ。
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[Anri]
別れはつらいね。キミがこの船を降りて、ボクらは離ればなれになる。それはとても、つらいよ。でも……。
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[Anri]
いつまでも、ボクの心はキミのそばにあるよ。どれほどの天と地が、空と海が、ボクとキミを隔てていようとも、その距離はキミが望めばゼロになる。
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[Anri]
信じて、アイーシャ。キミを想うボクの気持ち、ボクを想ってくれるキミの気持ちが、いつだってボク達を結びつけているんだ。
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[Anri]
いつか、キミに誓った言葉は、生涯かけて、キミのそばにあるよ、アイーシャ。その誓いで杏里・アンリエットはいつだってキミのそばにいるんだ。
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[Narration]
涙に濡れるアイーシャの頬に、杏里は手を添える。お互いに、わずかに体を寄せ、首をかしげ、唇を重ねた。
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[Narration]
ゆっくりと。
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[Narration]
静かに。
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[Narration]
やがて、穏やかに唇を離して、アイーシャは杏里に向き直った。
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[Aisha]
杏里、贈り物があるの。
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[Anri]
贈り物……?
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[Aisha]
ええ。私達から、杏里達へ。
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[Narration]
そう言って、アイーシャはわずかに視線を下へと向けた。
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[Aisha]
このホールの絨毯、新しくなったのよ。これが、私達からの贈り物。
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[Anri]
この絨毯が?
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[Narration]
杏里は、自分の足下を、そして、まるで天井へと続いていくような階段を見上げる。その道筋にまっすぐに敷かれた緋毛氈。
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[Aisha]
どうしても痛むものだから、永遠には残らないけれど……、杏里がこの学園にいるあいだは大丈夫ね。
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[Anri]
そうか、ここに来るたび、キミを思い出せるね。
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[Aisha]
そうしてくれるとうれしいわ。季節がかわって、新しいファーストが入ってきた時も、思い出してもらえる?
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[Anri]
えっと、それは……。
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[Aisha]
ふふ……。
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[Narration]
複雑な逡巡を顔に浮かべた杏里を見て笑い、アイーシャは船に続くタラップを一段、のぼった。
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[Aisha]
私と、イリヤという友人と、そして……。
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[Aisha]
天京院さんからの贈り物よ。
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[Anri]
かなえさんの……?
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[Aisha]
ええ。ねぇ、杏里……。
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[Aisha]
天京院さんは、明日、この船を降りるわ。
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[Anri]
明日……!?
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[Aisha]
ええ。ここからよ。私と同じように、自分の残したものを、踏みしめて。
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[Aisha]
杏里……、あなたは幸せな人ね。
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[Aisha]
あなたは人を幸せにさせる人ね。
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[Aisha]
じゃあね、杏里。
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[Narration]
タラップの上から、アイーシャはそっと杏里の頭に手を添え、その頬にくちづけを送る。
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[Narration]
そして、アイーシャ・スカーレット・ヤンは、この船を離れていく小さな船とともに、開け放たれた門をくぐり、海上へと消えていった。
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[Nicolle]
アイーシャは行ったかい?
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[Anri]
ニコル……。
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[Anri]
うん、見送ってきたよ。
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[Nicolle]
ちぇ、やっぱり予想通りだ。情けない顔してるよ、杏里。
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[Anri]
……そうかい?
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[Anri]
……うん、やっぱり、寂しいよ。明日からアイーシャの姿が見られないなんて……。
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[Nicolle]
そう思うなら……。
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[Nicolle]
あたしのことも、考えてくれよ。
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[Anri]
……ニコル?
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[Narration]
その声が、後ろから聞こえてきたのに気づいて、杏里は振り返る。立ち止まっていたニコルが、その3歩ほど後ろから、じっと杏里を見つめていた。
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[Nicolle]
あたしは……。
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[Nicolle]
あたしや、アルマ、ソヨン、アンやニキは、来年、ヘレナとクローエと一緒に出ていっちまう杏里を見送らなきゃならないんだぜ……。
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[Anri]
ニコル……。
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[Narration]
立ちつくしたままのニコルに歩み寄って、杏里はその震える肩を優しく抱いた。
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[Nicolle]
杏里……。
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[Nicolle]
馬鹿なことを祈ってるんだ、あたしは……。
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[Nicolle]
もしこのまま、杏里と一緒に、あの部屋でずっと籠城を続けていれば……。
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[Nicolle]
もしかしたら、カナエは、この船からいなくならないかもしれない……。
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[Nicolle]
もしかしたら、杏里も、この船からいなくならないかもしれないって……。
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[Nicolle]
馬鹿だよねぇ……。
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[Narration]
そう、つぶやきながら、ニコルは杏里の腕の中で、小さく、鼻をすすりあげていた。
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(Recent Series)

The Rain and the Other Side of You
Hana ni Arashi
Kakegurui Yorozu
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