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 その翌日。
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 午後の休息の時刻。
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 クローエ・ウィザースプーンの部屋に、一人のメイドが訪れている。
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 あまりルームサービスを入れさせない彼女にしては、少々珍しい光景だ。
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「アイーシャ様は、今日は風邪をひかれて授業をお休みなさいました」
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 一風変わった部屋の調度品に目を向けながら、イライザが言った。
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「……まさか、二日酔いで倒れているとは言えないでしょう」
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 クローエはソファに斜めに腰かけ、手元の薄い文庫に目を落としている。
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「彼女も……?」
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「リード様ですか。ええ、責任を感じていられるようで、アイーシャ様のおそばにおります。大丈夫ですよ。私とベスしか、部屋には入れさせませんから」
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「そう……」
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 その言葉を聞いても、クローエは浮かない顔のままだった。
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「グレイス・オマリーにでも、なられるおつもりだったのでしょうか、アイーシャ様」
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「アイルランドの“海賊女王”と呼ばれた女性ね。よく知ってるわね」
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「以前、音楽の授業で」
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「へえ」
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 イライザが部屋をさがると、クローエは窓に目をやった。
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 ひとめで暖流とわかる。海鳥たちも、活発に水面の飛翔を繰り返している。これなら、今夜のところはまだ海霧は出ないだろう。
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 だけれども、いっそ早く、あの深い濃霧がやってくればいいのに。そう願わずにはいられなかった。
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 それから、またさらに二日が経った夜。
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 ポーラースターの進路は、ふたたび濃密な霧にとざされた。
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 ほとんど視界の失われたデッキから、周囲を見渡す、アイーシャたち。
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 果たして、海賊船はやってきた。
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 海上に、ぽっ、ぽっ、と幾つもの、かがり火がともる。
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「不知火(しらぬい)が…………」
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 波間を赤々と照らす炎に、アイーシャは息を呑んだ。
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「うわあ……こないだの倍はいるんじゃない?」
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 デッキの柱につかまり、柵から身をのり出して見張りをしていた杏里は、感嘆の声をあげた。
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 霧にけぶる海面の下に現れたのは、すべてが天地逆に映った、カリブの海賊の大船団だった。
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『敵襲!』
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 学園長の号令が、伝声管を伝ってポーラースターに響きわたる。
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『敵は海面下にあり! 繰り返す、敵は海面下にあり! レーダーには反応しないぞッ!』
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 ドン! ドン! ドドドドドドドン!
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 いならぶ海賊船団の砲口が、立て続けにうなる。ひゅるる……と間の抜けた風切り音をしたがって迫る砲弾は、いったん海の底へ潜っていくかのような、大きな下向きの放物線を描いて、ポーラースターに接近する。
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 水面を突き破り、赤熱した砲弾がポーラースターを襲った。
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 見上げるような水柱が、カーテンのように、海面にそびえ立った。砲弾は、ポーラースターの高い舷側に、次々と吸い込まれていく。
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「くっ……!」
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 決してありえない規模の振動が、船をゆるがす。
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 歯がみするクローエが舷側を見ても、そこにはまるで損壊の跡は無い。
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「砲弾まで幽霊だって云うの!?」
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 機関部からは、まるで何かに吸い取られるかのように、恐ろしい勢いで出力が降下していると、悲鳴まじりの報告が届く。
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 速力の落ちたポーラースターに、何隻もの、海賊たちを乗せた船が接舷しようと肉迫してきた。
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 それらはすべて、鏡写しとなった海面の向こうの姿だった。
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 デッキ脇の茂みにカモフラージュされていたバルカンファランクスが、海上にせりだし、猛烈なうなりをあげて、水面を叩いた。
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 だがしかし、毎分数千発もの銃弾は、水面をいたずらに乱すばかりで、敵に痛手を与えている様子はまるで無い。
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 何かが、ずれている。
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「ポーラースター・セキュリティ! 抜刀!」
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 すでに部署についていた各オフィサーが、PS隊員たちに命じる。
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 式典以外では、その銀色の刃を見せる機会を与えられなかったサーベルが、いっせいに抜き払われる。
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 サーベルは儀礼用といっても、PSは揃って、剣の達人ぞろいだ。
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 実のところPSという連中は、無鉄砲なけーこ学園長のもと、いつかこんな日が来ることを、うずうずと待ちわびていた者ばかりなのだった。
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 海賊船から、かぎのついたロープが次々と、デッキの柵に投げかけられた。
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 ぼんやりと青い光を身にまとった、海賊たちが続々と這い登ってくる。
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 ───白兵戦だ!
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「PSの威信にかけ、賊どもの乗船を許すな! ポーラースターの甲板を、男の足が踏む時は、この船が沈む時だと思え!」
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 おおっ、と威勢のいいかけ声があがる。
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 アイーシャたちは、リードをかくまいながら、船の中心部、夜のカリヨン広場へと避難していた。
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 激しい戦いの喚声が、びりびりとここまで届く。海賊たちと、PSとが激しいつばぜり合いを繰り広げているようだ。
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「ぶえっ……くしゅ」
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 砲弾の水しぶきでびしょ濡れになった杏里が、くしゃみする。
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「ふぇ〜、剣呑剣呑。よもやこんな大事になるとはね」
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「思わなかったのなら、その手に持っている杖はなんなの?」
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 緊張が顔にあらわれてきたクローエに、そう指摘され、杏里はニコニコと、手元に握っていた樫の杖を持ち上げた。
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「あれ、言わなかったっけ。ボク、ちょっとステッキ術をかじったことがあるんだよ」
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「聞いてないわよ」
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「そう? ああ……でも、他のみんなは大丈夫かなあ」
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 ───侵入者だ!
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 PSの叫びと共に、サーベルとサーベルの打ち合わされる音が、広場まで響いてきた。
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「っと、おでましみたいだ」
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「それじゃまた逃げましょう?」
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「包囲された船の、どこへ逃げるっていうの」
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 アンシャーリーに向かって、クローエは鋭く言い返す。
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 4人の剣を持ったPSに囲まれながらも、ウェーブがかった黒髪をなびかせる海賊は、縦横無尽に駆けまわり、舞うように刃を走らせて、対等な戦いを見せていた。
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 いや、むしろ、PSが押されている。
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「ボ……ボニー……」
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 アイーシャに取りすがるリードは、蒼白になる。
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「あの人が……?」
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 いかにも我流の型にこだわらない動きで、海賊はたちまちのうちに、敵の数を減らし、最後のひとりとなる。
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「アララ、ポーラースター男性不侵の伝説もここまでか」
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「させるものですか! 倒してしまえば、ノーカウントよ」
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「そういうものかな」
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 最後に残ったPSは、フェイントにまんまとかかり、海賊のブーツに蹴り飛ばされる。
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 今度は、杖を構える杏里と、クローエが海賊の前に立ちはだかった。
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「女ばかり現れる船とは思っていたが、こんな若い娘たちまで乗っていたとは……。それで、本当にオレとやる気なのか?」
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 サーベルを肩にのせる海賊は、少女たちを馬鹿にするように手を持ち上げる。
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「杏里! その人がアン・ボニーよ!」
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 アイーシャが叫ぶ。
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「いきなりラスボスかい、うわっ」
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 ボニーは前ぶれなく、武器を持つ杏里に向かって斬りつけてきた。
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 激しく、ボニーと杏里が切り結ぶ。
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「光栄だね! こっちの名前をご存じとは……いや、さてはリードから聞いたか!」
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「うわっ、つ、強い!」
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 笑みを浮かべるボニーとは反対に、もはや杏里に軽口を叩いている余裕はなかった。
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「今いくわ!」
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 クローエも、すぐさま倒れたPSからサーベルを拾いあげて加勢する。
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 両手に2本の剣だ。
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「ほう! おまえ、二刀流か? 以前闘ったシナ人もそうだったぜ! もちろん、オレが両方とも腕を切り落としてやったがな!」
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 ボニーは鬼神のような強さを発揮し、たちまちのうちに、杏里たちの武器をはじき飛ばした。
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「くうっ」
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 クローエがバランスを崩して、地に伏せる。
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「そこでとどめーっ、うっ、ぎゃーっ!」
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 と、振りかぶるボニーに合わせ、素っ頓狂な調子で叫ぶアンシャーリー。ボニーも、ばつが悪そうに手が止まる。
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「ま、待った待った! そんなことしたら死んじゃうって!」
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 杏里は、ボニーの背から、しゃにむにしがみついた。
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 その時、はっと、杏里の顔色が変わる。
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「動かないで!」
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 アイーシャが、その手にピストルを構え、立っていた。
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 がちり、と撃鉄を起こす。
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 年代物のマスケット銃の銃口は、まっすぐにボニーを狙っていた。
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「…………」
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 ボニーが、刺すような三白眼でアイーシャをねめつける。
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 アイーシャは歯をくいしばって震えをこらえながら、一心に海賊へ狙いをつける。
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「あなたの銃よ、アン・ボニー。この船の銃器は効かなくても、この銃だったらどうかしら」
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「…………」
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 逡巡している様子のボニーに、さらに告げる。
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「弾は詰め替えました。今度こそ、実弾よ!」
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 やがて、アン・ボニーは、すがりついたまま呆然としていた杏里を振り払い、持っていたサーベルを地面に投げ、突き刺した。
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「ふんっ……確かに、それはオレがリードにやった銃だ。おい、リードはどこにいる。リードを返しやがれ!」
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 銃口を突きつけられながらも、ボニーはすごんでみせる。
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 そしてようやく、アイーシャのすぐ脇に立つ、プロンドの少女の姿に気づいた。
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「…………あ……?」
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 ボニーはしきりに、目をこすった。
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「お、おまえ……リードか? な、なんて格好だ!」
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 近づいてきたボニーの前に、またアイーシャが立ちはだかった。
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「それ以上、こちらへ歩いてきたら、本当に撃ちます!」
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「……っ……にゃろう……」
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 ボニーは、ぎりぎりと歯ぎしりする。
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 アイーシャの背にすがりながら、リードは、ボニーの一言一言にびくびくと震えていた。
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「リード、こっちへ来い」
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 低く、重く、ボニーが告げる。
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「なんで、そんな女みたいな格好をしてやがるんだ……は、恥ずかしくないのか? お前、それでも海の男か?」
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 アイーシャの肩をつかむリードの指に、ぐっと力がこもる。
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「リード……大丈夫……?」
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 ふるえながら、少女は小さく頷く。
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 アイーシャの脇から、おそるおそるリードが前に出る。
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「ボニー、そうだよ! ボクだってこんな、頼りないスカートなんか穿いたりして、顔から火が出るくらい恥ずかしいさ! ……だけど……だけど、ボクは……本当は……」
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 両のこぶしを握りしめ、リードが絶叫する。
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「ボクは、女なんだ、ボニー!」
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 カリヨン広場に、朗々と声が反響する。
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「マリオン・リードなんて、嘘っぱちだよ……本当は、メアリ・リードなんだ!」
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 呆然となったボニーは、やがて自分を取り戻し、力無くせせら笑った。
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「ハハ……ハ……ば、バカ言えっ……そ……そんなはず無いだろ? あのリードが……女だなんて……メアリー……?」
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 アンシャーリーが、リードの脇にぴたりとはりついて言う。
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「ハイ。雌雄鑑定ならこの人。あたしアンシャーリーが、責任をもって確認いたしました。リードちゃんは、本当に女の子よ? ちょとやせすぎだけど」
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 がっくりと膝をついた、ボニーの肩に、杏里がぽむ、と手を置く。
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「よかったねえ、ボニーさん。リードちゃんが可愛い女の子で」
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「い……いいわけあるかっ! バカ野郎ッ! お……オレの純愛を、どうしてくれるんだよ……!」
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 先ほどまでの威勢の良さは消し飛び、ボニーはその場にぼろぼろと泣きくずれる。
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「そんな、純愛なんて……っ」
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 言い返そうとしたリードに向かって、なぜか杏里がちっちっ、首を振る。
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「リード、きみは一つ、重大な勘違いをしているようだよ。しかもそれはね、ボニーと同じ勘違いだったんだ」
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「……えっ……そ、それって……!」
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 リードだけでなく、アイーシャたちもまた同じく息をのむ。
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「……待て、リード……なんだって?」
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 むくりと立ち上がったボニーは、頬に流れる涙もぬぐわずに、まじまじと少女を見つめながら歩み寄った。
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「リード? まさか、おまえ……オレのこと、ずっと男だと思っていたんじゃあるまいな……」
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「えっ……だ、だって……じゃあ、なんだって、あんなにボクに、いろいろ他の船員と違うふうにしてきたのさ?」
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「そ、それは……オマエが可愛かったからに決まってるだろっ……! 男だろうが女だろうが、オマエみたいな器量のいいヤツが、誰の加護もなしに海賊の船でやっていけるか!」
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 ひたすらどきまぎしているリードに、ボニーは自分の黒髪に隠れるようにして顔を染めた。
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「ボク……てっきり……じゃあ、毎晩ボニーのベッドで寝かされたのも、いつでもボクを襲えるようにじゃなくて……」
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「そりゃあ、ソドム野郎からお前を守るためだよっ! あたりまえだろっ!」
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「じゃ、じゃあ……毎日、珍しい果物やお菓子を食べさせてくれたのも……寝る前に、ボクに本を読ませたりしたのも……」
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「なによ、ラブラブじゃない」
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 とアンシャーリー。
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 ボニーは、ごわごわした自分のシャツに手をかけると、びりびりと横に引き裂いた。
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 そこには、形の良い豊かな胸があらわになる。
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 目を見張るリードに向かって、ボニーはまくしたてる。
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「いったいいつ、オレが男だなんて言った! 見ろ! この通り、オレは正真正銘の女だ、バカっ! 部屋で着替えたりしている時に、気づかなかったのか!?」
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「犯されるのかと思って……こ、怖くて……目つぶってたから……ごめんなさい……」
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 深いためいきをついて、今度こそボニーはがっくりと肩を落とした。
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 その目前に、アイーシャは再び銃を構えて立った。
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「謝ることなんてないわ、リード。アン・ボニーは決して、あなたを信用してなんかいないもの」
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 どっかりとその場にあぐらをかいたまま、ボニーはアイーシャをねめつけた。
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「…………なぜ、そう言える」
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 リードは、はらはらと二人の対峙を凝視している。
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「じゃあ、なぜ空砲の、弾の込められていないピストルなんて渡したの!?」
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 激しくアイーシャがたたみかける。
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「背中を撃たれるのが怖かったんでしょう!? 武器を与えて、信用しているフリをしたのよ!」
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 だがその時、ハッとリードの息をのむ音が届いた。
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「アイーシャ……! ごめん……ちがうよ、ちがう……ボニーは……っ……」
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「リード……?」
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 それ以上言葉にならず、歯を食いしばるリードは、アイーシャの腕にすがって首を振る。
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「海賊が、1発きりの弾と、銃を与えられるとしたら、そいつぁ決まってる」
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 そう毅然と言い放って、ボニーは人差し指の先を、自分のこめかみに当てた。
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「自決用なんだよ、その銃は」
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「え……っ……」
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 ぐらりとアイーシャの地面がゆらぐ。
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「リードの腕で、一発きりの弾が敵に当たるわけが無い」
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「じゃ……じゃあ……」 
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 ボニーは、動かぬままリードを見据えた。
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「お前には、どんなことがあっても生きてほしかった……たとえ、孤島に放り出されても……ソドム野郎に、好きにされるようなことがあったとしても……決して、あきらめずに」
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「……アン……ボニー……」
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