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 ───翌朝。
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 空中庭園のカフェー。
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 昨夜の濃霧はどこかへ消え去り、ピーカンの青空が広がっている。
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「本当に、見たんだったら!」
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「そう。夢の中で?」
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 杏里の訴えを、クローエはぞんざいに受け流す。
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「よりにもよって幽霊船とは……。非科学的極まりないな」
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「鼎さんまで!」
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 学園論客の双璧にはさまれ、どうにも杏里の分が悪い。
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「でも杏里さん、目はとってもよろしいんですよ?」
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「……いいよソヨン」
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 杏里は瞼をなかば伏せ、生気のない顔をした。
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「なんだかボク、自分がかわいそうになってきた」
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「でも───」
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 それでも杏里をかばおうとするソヨンの脇に、三つ編みを垂らした女性が立った。
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「いや、あたしも見た」
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「───学園長!」
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 HBPの船長兼、学園長を務めるけーこは、いつものように独特の風格をただよわせていた。
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 かっと目を見開く杏里の手からカップをひったくると、がば、とシナモンティーを口にあける。
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「ふう。……あのなあ、毎度毎度、ヘンにびっくりするんじゃない。あたしが船のどこにいたっていいだろ?」
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「そうなんだ。くせって怖いよね。で?」
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「ああ」
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 学園長は、ラウンドテーブルに腰をおろして、高く組んだ脚の上で頬杖をついた。
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「あたしが見たのはね、一本マストのスループ船の船団だ。そのむかしバミューダーあたりで海賊たちが、ぶいぶい乗りまわしてたヤツだ」
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「あれっ? ボクが見たのは、三本マストのおっきなお船だったよ? すごーく背の高い」
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 杏里は、けーこの具体的な問いに応じて、その見た通りの姿を空中へ描き出してみせた。
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 ふっとけーこの顔がくもる。
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「……おそらくフリゲートだな。何隻いた?」
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「一隻きり」
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「なんだ。二人の視認したものが、てんで違っているじゃないか」
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 言わないことはない、と天京院は肩をすくめる。
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「昨夜はずいぶんと霧が出てましたし、見まちがえたんじゃ……」
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 ソヨンが苦しい助け船を出す。
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「うーん……それでも、変なところがあってね」
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 杏里は椅子の背にもたれかかりながら、話をつづける。
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「こうやって、なんとなくデッキの柵にもたれて海を見てたんだ。そうしたら、ドーンドーンって大砲を撃つ音が聞こえてきて。そうしたら、海にお船が映ってたんだよ」
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「波のくだける音と聞き違えたんだろ」
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「てんで信用してないね、鼎さん? 波なんか、ぜんぜん無かったよ。それよりとにかく変だったのは───」
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「船が、上下さかさまに見えた」
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「トゥッタ フェー! そう、そうなんだ!」
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 学園長のはさんだ言葉に、杏里ははっしと手を打った。
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「水面を境にしてさ、その向こう側にまるで別世界があるみたいに!」
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 クローエや天京院にほほえみかける杏里とは対称的に、けーこは慎重な面もちを崩さない。
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「……あたしはブリッジにいたから、音は何も聞こえなかった。海にチカチカ光るものがあったんで、最初はブイかと思ったんだ……どうやら、砲火だったようだな」
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 二つのレンズが、ぎらりと陽光を反射する。
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「ふっ……ふふ……幽霊船とはいえ、あたしの船に撃ち込んでくるとはいい度胸じゃないか」
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 控えていた高級PSに一瞥をくれると、けーこは足早にその場を立ち去った。
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 その背を見送りながら、杏里は、他人事のように言う。
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「幽霊船と……戦争でもはじめる気かな?」
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「海戦ですか!?」
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「そうとも、ソヨン! なんたって、この船はお宝でいっぱいだからね! いつだって賊どもに狙われてるんだ!」
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「あ、あたしの、満月壺入りの極辛キムチも?」
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「もちろん!」
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「こ、高麗青磁のポッサムキムチも?」
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「一切合切!」
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「ポ、ポッサムだけは〜!」
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「問答無用!」
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「そんな〜っ」
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 あきれかえる天京院は、浮かない様子のクローエに目がとまった。
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 指の根を噛むように唇にそえ、うつむいている。
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「どうした。まさか、海賊が怖いのか?」
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「い、いえ……なんでも……」
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 おなじころ───
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 オカルト話に興じる杏里たちから離れ、こそこそと、花壇の脇道を頭を低くして進む三人。
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「もうお花の真似はしなくていいわ、リード」
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「こんな格好……いやだっ」
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「もう杏里のセンサー圏外だから、大丈夫なのだわ」
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「ちがうっ、こんな短いスカートなんて……っ」
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 リードと呼ばれた少年は、そうして何十回目かの不平を漏らす。
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「なんですと〜! あたしよりウエスト細いのに〜!」
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 眉をつりあげたアンは、リードに貸したスカートの胴に指を入れて、するすると体に沿わせた。
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 笑いの混じった悲鳴をほとばしらせながら、少年は身をよじる。
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「その服装のほうが、目立たないと思うの。追っ手の目をくらますためにも」
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 淡々とアイーシャが告げると、リードはしぶしぶ了解する。
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 細腰を包むスカートから、すらりとみずみずしい両足が伸びる。
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 伸ばし放題だったハニーブロンドは、いまや丁寧にとかされ、薄肩と胸を流れる、黄金の河となって広がっていた。
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「そう!」
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 誰もいない場所へ、アンは目線を向けて語りかける。
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「少年は魔女……じゃなくて『少女』だったのです! チャ〜ラ〜〜ララ〜〜ラララ〜〜ララララ〜♪(裏声)」
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「ううう……けがされたよう……」
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 すでに昨夜の事件となった、あの悶着でアンをうち倒したのは、弾頭の無い空砲だった。
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 だがそうとは知らず、銃を取り落とし、蒼ざめたその素顔は、まだ年若い少女のものだった。
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 銃声を聞きつけPSが駆けつけてくる。
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 敏感に気配を察して、少女は心底おびえていた。
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(…………!)
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 震える青い瞳をじっと見据え、アイーシャは決心した。
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 少女の肩をつかみ、とっさにクローゼットに押し込める。
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 床に転がるマスケット銃は、蹴り飛ばしてベッドの下へすべらせる。
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 次の瞬間、戸口にあらわれた二人のPSは、部屋の惨状と、かき消しようのない硝煙臭に驚き、何事かと部屋の主に問いただそうとした。
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 とっさの言葉が出ず、躊躇してしまったアイーシャを、PSたちが不審な目で見つめる。
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 ───と、背後でまたもや破裂音が響いた。
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 訓練された動きで、即座にアイーシャを伏せさせると、PSはみずから盾となるようにして振り返った。
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 パンッ──パパンッ───!
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 騒動の主は、アンシャーリーだった。
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 どこで見つけたのか、パーティークラッカーを口いっぱいにくわえたアンが、ブリッジポーズのまま、エクソシストよろしく猛烈に迫ってくる。
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 PSたちは、素晴らしい職業精神を発揮して、喉もとまでこみあげた悲鳴をなんとか堪えたが、もはや異常な空気の中にのみこまれていた。
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「ふごふごごご──!」
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 パンパンパパパパパパパパンパン!!!!
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 炸裂はとまらない。
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 部屋はたちまち、マッチ臭い煙と紙吹雪で埋め尽くされる。
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 そうして、何だかわからないうちに、PSは追いはらわれていた。
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「かくまってくれた……の……? わっ!」
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 クローゼットからこわごわと顔を出した少女に、アンシャーリーは猛然とつかみかかった。
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「あたしを殺した責任をとれ〜〜!」
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 度を失った少女をかばうように、アイーシャが立つ。
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 心細げに腕にすがった少女は、今度は赤くなり、どぎまぎと言い訳をした。
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「ご、ごめんっ……その、人ちがいで……」
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「人ちがいで人を殺すなー、えーいこの人ちがいめ! めっ!」
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 憤慨するアンシャーリーを横目に、アイーシャは少女の肩に手を置いた。
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 その小さな顔にじっと見入る。
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 日に焼かれ、垢じみた顔のなかにも、なお隠しがたいこまやかな面差しが浮き上がる。
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「女の子……だったのね……?」
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 少女は、くっと唇を噛んだ。
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「マリオン・リード……ううん、違う」
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 ドレッサー付きの椅子にかけた少女は首を振った。
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「本当はメアリ・リード。生まれはロンドン。父親は海で死んだ。母親とはもう、家出してからずいぶん会ってない。別に向こうも気にしてない。貧乏だったからね。物心ついた時から、男だか、女だか、わからないような格好してた」
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 本名をメアリ・リードと名乗った少女は、ぽつりぽつりと二人に身の上を語って聞かせた。
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 海の冒険にあこがれて、故郷を飛び出したはいいものの、いざという時の度胸がまるでなく、おまけに運もなく、何をやってもうまくいかなかったこと。
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 性別をいつわって、やっと軍艦の仕事についても、臆病がたたってすぐ首になり、その後もずっとそんな調子で、職を転々としていたこと。
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 そしてようやく、ハバナ行きの貿易船で仕事にありつけたのに、今度は海賊船団に襲われて、あまつさえ人手が足りないからと、その海賊の一味にされてしまったこと。
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「ハァ……それで……」
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 リードは、ため息を何度もつきながら続ける。
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「月さえわからない霧の夜に、イギリスのフリゲート艦と、ばったり鉢合わせた。白兵戦になって、船から逃れようとしたら、足をすべらせて、海に落ちて……」
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「くさい」
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「……え?」
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「あなたくさいわね」
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 鼻をつまんだアンシャーリーが、リードをにらむ。
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 少女はくんくんと自分の匂いをかいで、怪訝そうにアイーシャを見あげる。
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「……匂う……かな?」
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 救いを求めるように顔を寄せてきた少女に、アイーシャはさみしそうに微笑んだ。
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「そ……そんなにくさい……?」
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「………………」
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「………ね、ねえ……?」
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 憂いをおびたアイーシャの横顔がじわじわと赤くなる。
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「……………………………………ぷはっ!」
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 たまらず、アイーシャは顔をそむけて息をついだ。
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「息とめてたね!? ひどいよ!」
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「うらららあっ、入るのよナウ!」
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「って、な、何? わああっ!」
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 少女の上着がズバッとたくしあげられる。
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 茶巾包みにされた少女は、コヨーテに狩られた子鹿のように、ずるずるとアンに引きずられていった。
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「ちょっとお借りします」とニヤつくアンシャーリーと、暴れる茶巾包みのその先は、バスルームだ。
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 くぐもった情けない悲鳴と、けたたましい笑い声が耳を打つ。
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 そんななか、アイーシャはベッドに腰かけ、膝にのせた年代物の銃を見つめながら、考えをめぐらせていた。
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「ううう……けがされたよう……」
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「まだ言ってるー。汚しただなんて、失礼ね」
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 唇をとがらせたアンが、歩きながらリードをのぞきこむ。
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「あたしはただ、はげしく抵抗するあなたを馬乗りになって押さえつけ、あんなトコやこんなトコを、むりやり、いやおうなく、あますところなく、執拗に強引にねちっこく、洗って洗って洗いまくってあげた。それだけなのだわ?」
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「………………………………ううう……」
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「おかげでこっちは寝不足だあ!」
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「知らないよ、もう」
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「リード、アンって誰?」
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 泣きべそのまま、リードはアンシャーリーを指さす。
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 アイーシャは瞼を伏せた。
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「ごまかしてもだめ。あなたが一番おびえている相手のことよ。そんな苦手なピストルを使ってまで、身を守らなきゃいけない……アンって誰なの?」
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