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[Narration]
軋んだ音をたててワイヤーを巻き上げていたウィンチが止まり、二人はエレベーターのカーゴを降りた。
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[Narration]
甲板への扉を開くと同時に、茜色に染め上げられた空と海、そして太陽が二人の視界に飛び込んできた。
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[Anri]
うわ……。
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[Aisha]
……きれい……。
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[Narration]
巨船の甲板を吹き抜ける風が、アイーシャの髪をさらい、服をはためかせる。
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[Narration]
裾を手で、少しだけ気遣いながら、アイーシャは甲板を歩いていった。杏里も髪に手をあてながら続く。
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[Narration]
言葉を発することのないまま、二人は船首まで歩きつく。甲板に設けられた遊歩道の柵の切れ目を通り、立ち入りを禁止されている舳先にまで進む。
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[Narration]
足下まで海原が広がってきているように見える。夕陽もよりいっそう、大きく感じられる。
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[Narration]
全長千メートルのH・B・ポーラースター。アイーシャはその先端に立って、杏里を振り返った。純白だったドレスが、茜色に映える。
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[Aisha]
杏里……、話って、何?
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[Anri]
………………。
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[Aisha]
杏里……?
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[Anri]
………………。
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[Narration]
夕陽にとけこむように立つアイーシャに、杏里は言葉を失っていた。
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[Aisha]
どうしたの?おしゃべりなあなたらしくない……。
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[Narration]
少しからかうような笑みを乗せたアイーシャの言葉が届く。
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[Narration]
この少女をこれから告発しようとしてる自分が信じられなかった。本当に、彼女は罪を犯しているのだろうか? そんな疑問さえわき起こってくる。
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[Narration]
しかし、その結論は、杏里のもっとも信頼する友人が出したものだった。
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[Anri]
アイーシャ……。
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[Aisha]
なあに?
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[Anri]
明日、船を降りるんだったよね。
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[Aisha]
ええ。
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[Anri]
ボクも、今日までに自分の無実を証明できなかったら退学だ。
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[Aisha]
そうね。
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[Anri]
前に言ってたね……。もし、そう船を降りることになったら……、一緒にいてほしいって。
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[Aisha]
……ええ。
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[Anri]
どうしよう。困ったことになったよ……。
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[Anri]
犯人は、キミなんだ。
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[Narration]
二人は見つめ合ったまま、押し黙った。吹き抜ける風だけを差し挟んで、二人は互いを見つめる。
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[Narration]
そして、アイーシャの短い言葉で、その沈黙は終わった。
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[Aisha]
嘘よ。
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[Anri]
嘘じゃないよ、アイーシャ。かなえさんは嘘はつかない。間違い、ないよ。
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[Aisha]
じゃあ、真実ね。あなたが、そう、信じてしまったんだもの……。
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[Anri]
ねえ、アイーシャ、信じたくないよ。いったい、なぜ……。
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[Aisha]
なぜなんて……。聞く必要なんてないわよ、杏里。私をPSに突き出せば一件落着、それだけでいいんじゃないの?
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[Anri]
かなえさんもそう言ってた。理由なんて必要ないって。でも、……答えてよ、アイーシャ。
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[Aisha]
聞かない方がいいわ。後悔するかもしれないわよ?
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[Aisha]
……それでも、知りたい?
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[Narration]
逡巡は短かった。
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[Anri]
……聞かせてほしい。
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[Aisha]
じゃあ、教えてあげる。
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[Aisha]
私ね、誘拐されたことがあるの。
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[Narration]
アイーシャは、一言一言を区切るように話し始めた。
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[Aisha]
なぜ、そんな目にあったのかは、わからないけど……。そうね、父の仕事の関係だって噂を後で聞いたくらい。
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[Aisha]
さらわれて、救い出されるまで、三日間。どこともわからない部屋の中で……。
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[Aisha]
犯され続けたの。
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[Aisha]
さらわれた時に気絶させられて……、気がついたのは、処女を奪われた痛みによってよ。
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[Aisha]
痛みと、自分の置かれた事態に絶望したわ。でも、そんな思考ができたのは、わずかな間だけだったの。
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[Aisha]
何度も何度も犯されているうちに、与えられる現実がすべてになったわ。受け入れたの。身体中のどこを犯されようとも、それは苦痛ではないと受け入れてしまったの
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[Aisha]
代わる代わる、何人もの男が私を犯した……。突き入れられるたびに、声をあげて迎え入れたわ。痴態を罵られても、うなずくだけだった。
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[Aisha]
身体を余すことなく汚されても、涙を流して悦んでいたのよ……!
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[Aisha]
どんな格好でもしたわ。どんな行為を求められても従った。卑猥な言葉を吐くくらいなんともなくなった。
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[Aisha]
食事もなく、与えられたものは、男達の精液だけよ。それすらも、飲ませてくださいと懇願したわ。
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[Aisha]
でないと狂ってしまいそうだったのよ!いいえ、もう狂っていたのかもしれない……。きっと、そうなのよ……。
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[Aisha]
そこから救い出された後、また、閉じ込められたの。今度は病院だったけど。入院して三日でお見舞いも医者の診察も無くなったわ。
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[Aisha]
広い病室に一人だけ。出された食事をとって、時折、狂ったように自慰をして……。
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[Aisha]
退院したら、今度は自分の家の奥深く……。どこに行っても出口なんてないのね。
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[Aisha]
それでも、少しづつ、人といるのが怖くなくなってきてたのよ。普通に接することができるようになってた。
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[Aisha]
でも、どうしようもなく飢えて、他人の身体を求める自分が残ってもいたわ。心の中に染みついた飢えが、誰かを欲しいというのよ。
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[Aisha]
自分一人でいる時は、その正体がわからずに悶えていただけだった。誤魔化すために、ひたすらに知識をつけようともしたわ。
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[Aisha]
でも、この学園に入学して止められなくなってしまったの。
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[Aisha]
自分の身体を満たしてほしかった。それだけだったのよ。別に、愛してほしいわけじゃなかった。
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[Aisha]
でも……、誰一人、私を相手にはしてくれなかったわ。
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[Aisha]
理解は、できるの。肌の色さえ珍しい、東南アジアの片隅からきた娘よ。しかも、スキップをした異端児。それなのに天才ってわけでもない。
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[Aisha]
さらされたのは実体のない隔意よ。誰もが、私を相手にしないことで、異端児の存在だけを受け入れた。
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[Aisha]
自分から声をかけるだけで解決できたことなのかもしれない。でも、私には無理だった。
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[Aisha]
他人も怖かった、孤独も怖かった。人に傷つけられながら、求め、受け入れる選択しかできなかったから。
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[Aisha]
だから、渇望だけを強くしていくしかなかったの。
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[Narration]
巨大な夕陽がアイーシャを背後から照らしつける。淡々と続く言葉を、彼女がどのような表情で語っているのか、杏里にははっきりとつかめなかった。
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[Narration]
それは逆光のせいなのか、それとも、アイーシャの言葉が引き起こす、自らの震えか。
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[Aisha]
いちばん最初は、いつも掃除やシーツの取り替えに来てくれた、部屋係の人だったのよ。
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[Aisha]
親切な人だったけど……。自分を……、あの器具で慰めているところを見られたの。
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[Aisha]
もしかしたら、彼女は私を軽蔑しなかったかもしれない。でも、私は、自分を止められなかった。
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[Aisha]
彼女に見られた瞬間、頭の中で、あの暗い部屋の中での光景が甦ったわ。何かを失う恐怖が、その記憶に結びついたのよ。
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[Aisha]
失うものなんてもう何もないと思ってたのに、他人に傷つけられるのを恐怖している自分がいたの。そして、無我夢中で彼女を襲った。
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[Aisha]
自分でも信じられない力で押し倒して、手にしたディルドゥを彼女に突き立てたわ。血が出てた。むせ返るような臭いで……。
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[Anri]
……その娘はどうしたんだ?
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[Aisha]
知らない。放心してる間にいなくなってしまったの。それから会ってないわ。
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[Aisha]
数日は、告発されるかもしれないって怯えてたけど、何も変わりはなかった。むしろ、変化したのは私の方よ。
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[Aisha]
自慰ではけっして満たされなくなった。どんなに慰めても、あそこはすぐに渇いて求めるの。
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[Aisha]
机の下に、職員用のカードキーを見つけた時、ためらわずにその解決方法を選んだわ。
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[Aisha]
それから……、ほぼ一週間おきに四人……、自分のクラスメートを襲った。
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[Aisha]
何を求めていたかなんて、自分でもよくわからないわ。ほとんど声をかわしたこともない彼女達と自分を、あの太くおぞましい器具で結びつける……。
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[Aisha]
痛みと絶望で泣き叫ぶのを見ながら、私は同じもので快楽を得ているのよ。ああ、ここにいる化け物はいったいなに!? なんなのよ!
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[Narration]
背を反らし、頭を両手で抱えながら、アイーシャは叫んだ。それは紛れもなく苦痛の声だった。
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[Aisha]
杏里……。
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[Aisha]
あなたにさえ会わなければよかったのよ……。
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[Anri]
……え?
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[Aisha]
会わなければ、いつか訪れる破滅を待ちながら、誰かを汚して身体の渇きを満たしていればよかったんだもの……。
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[Aisha]
あなたに会わなければ……。
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[Narration]
アイーシャは頭に添えていた手をおろす。まっすぐに杏里を見つめていた。あえて何も求めない、ただの視線だった。
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[Anri]
ボクに……、会わなければ……?
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[Aisha]
そうよ。
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[Narration]
アイーシャは微笑んでみせる。
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[Aisha]
いきなり現れて、遠慮なく踏み込んできたならず者……。
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[Aisha]
二言目には好きだ、愛してると囁いて包み込もうとする。
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[Aisha]
今までの人生の中で初めてだったのよ。戸惑うしかなかった。でも……。
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[Aisha]
嬉しいと思わなければよかった。その中から生まれてくるものに気づかなければよかった……!
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[Aisha]
あなたに惹かれだしたの。願ってはいけないのに、あなたなら救ってくれると思ってしまった……!
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[Aisha]
あなたがずっと、私のそばにいてくれたらいいのにと思った。あなたがいなければ、生きていけない、滅んでしまう、そう思った!
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[Aisha]
ううん、それは事実、杏里がいなければ、私はどうにかなってしまう……。
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[Aisha]
……杏里、あなたに抱いてもらった時、私、イったのよ。
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[Aisha]
器具を使わずに、声と指と舌と肌で。生まれて初めて、あなたという存在だけで、私、イくことができたの……。
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[Aisha]
そんなこと、一生ないと思ってたのに! どうして!? どうして、こんな気持ちにさせるのよ、杏里!
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[Narration]
アイーシャの瞳から、涙がこぼれた。
>

[Aisha]
……私は、こんなにも罪深いのに! 汚れた身体で他人を傷つけてきたのに! どう償おうともかなわないのに!
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[Aisha]
気づいてから、あなたに会うたびに身が引き裂かれそうになる! どうして、なぜ自分はと思うのよ!
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[Aisha]
私は恐ろしい女だわ! 裁かれれば、あなたのそばにいられなくなる。そのことだけを怖れて、あなたの前で笑っていたのよ!
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[Aisha]
狂言で罪を消そうとまでした。浅ましくもよ!
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[Narration]
自らの過去と罪と感情を告白するアイーシャ。吐く言葉で自らを傷つける少女から、杏里は目をそむけることができなかった。
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[Narration]
悔悟と怖れの間でもがくアイーシャに、杏里はどうやって手をさしのべていいのかわからなかった。
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[Anri]
アイーシャ……。もしかしたら、まだ……。
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[Narration]
迷い、よどみながらの杏里の言葉を、アイーシャは遮る。
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[Aisha]
まだ!? 許されるわけがないことは、あなただってよくわかってるでしょう?
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[Narration]
アイーシャを前に、杏里は感じる。自分の言葉が重く鈍い。
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[Anri]
そんな、ことは……!
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[Aisha]
……ファン・ソヨンさえ、私が犯したのよ。醜い独占欲と羨望にかられて。
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[Narration]
その名前に、杏里の言葉が止まる。
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[Anri]
……ソヨン……!
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[Aisha]
そうよ。忘れてたの?
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[Narration]
アイーシャは涙をぬぐって、杏里を見た。
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[Aisha]
ほら、ねぇ、私を憎んで。
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[Anri]
……!
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[Narration]
アイーシャの言葉に、杏里は息をのんでから首を強く振った。それを見て、アイーシャは微笑う。
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[Aisha]
……何を否定しているの? まだ私を信じたいの? 潔白だと思いたいの?
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[Aisha]
何か理由があると思いたいの? もっときれいなものがほしかったの? 限りない悔悟に埋まる私を見たかったの? だったらこう言ってあげる。
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[Aisha]
ねぇ……。
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[Narration]
独白だったアイーシャの言葉が、杏里へと投げかけられる。
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[Aisha]
……同情して、憐れんで。
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[Aisha]
可哀想だと言って、辛かったんだねって囁いて。一夜だけと、抱いて。あなたの腕の中で泣かせて。そして……。
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[Aisha]
次の朝になったら、私に自首を勧めて。罪は償おうって言って。償いが終わる日までキミを待ってるって嘘をついて。
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[Aisha]
……きっと、あなたにはそのくらいしかできないわ。……できないのよ。
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[Narration]
アイーシャの涙で歪んだ微笑を見て、杏里は小さく震えた。アイーシャの言葉に、支配されてはいけない感情が自分を埋め尽くしていくのを感じる。
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[Narration]
どうすればいいのだろう。どうすれば、この少女を救えるのだろう……? 自信も決意もなにもかもが揺らぐ。
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[Narration]
身を固め、言葉を失ったまま、杏里はアイーシャを見つめている。杏里のその姿を見て、アイーシャは微笑んだ。そして、別れの言葉を告げた。
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[Aisha]
さよなら、杏里。いつまでも、元気でね……。
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[Narration]
アイーシャの白いドレスの裾が大きくはためき、杏里の視界から一瞬、その姿を隠す。杏里の方を向いたまま、アイーシャはその身を、後ろに倒れ込むように踊らせた。
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[Narration]
それからの一瞬の間に杏里は思いを巡らせる。
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[Anri]
(アイーシャ……!)
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[Anri]
(危ない、落ちるよ、アイーシャ。そうやってすべてを償おうとするの? そうするしかないの?)
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[Anri]
(ボクはキミを救うことはできないの? 今、手をさしのべても届かないの? キミを苦しめるだけなの? そんなにもキミの罪は重かったの……?)
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[Anri]
(違う!)
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[Anri]
(失いたくないんだ! 救いたいんじゃない、ただ手に入れたいだけなんだ! 彼女の過去も罪も関係ない!)
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[Anri]
(これはボクの傲慢だ。アイーシャがほしいというそれだけだ! 迷うことも恥じることもない! ボクがキミを望むんだ! だから……!)
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[Narration]
叫びが口から出ていた。
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[Anri]
アイーシャ!
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[Narration]
杏里は駆けだしていた。
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[Narration]
アイーシャが立っていた場所までの数メートルを瞬きほどの間に移動する。そしてそのまま、さらなる一歩を踏み出した。
>

[Narration]
もはやそこは、船の上ではなかった。
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[Narration]
杏里は勢いのまま、アイーシャの体を捕まえる。
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[Narration]
勢いもその向きも違う二人がぶつかり、視界が反転する。水平線がせり上がり、一面に水面が広がる。
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[Anri]
……!
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[Aisha]
……!
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[Narration]
アイーシャへ伸ばした手はそのままに、空いているもう片方の腕をあらん限りに振り伸ばす。
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[Narration]
指先に何かが触れたと感じた時、すべての力をそこに込めた。腕に激痛を伴った衝撃が加わり、視界は逆に回る。
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[Narration]
短く激しい振り子運動を体に強いた後、杏里はそのひどい揺れがおさまったことに安堵の息をついた。
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[Narration]
見上げると、赤から群青にグラデーションがかかった空が映る。
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[Narration]
見下ろせば、ポーラースターに切り裂かれて白い波をたてる海。
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[Narration]
視線を海からあげると、水平線に夕陽が沈もうとしていた。
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[Narration]
そして、そこから視線を横に巡らせると……、自分を見つめるアイーシャの顔が間近にあった。
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