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時計を見る。うん、まだ5分近く余裕がある。
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ちょうど、最前列の席が空いていてよかった。ステージのプログラムを見ると、陽香の出番は、演劇部とブラスバンド部に挟まれている。
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となると、大きな演目の間で、観客の入れ替えに当たったのか。
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私の見つけた席は、ステージのほとんど真正面。音響的にはいい場所ではないかもしれないが、ステージの上の陽香を見るにはいちばんいいところじゃないだろうか。
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講堂に並べられたパイプ椅子。そこに腰を下ろした。ここなら陽香の姿が間近で見られる。
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そして、どんな言葉も聞き逃さないですむだろう。
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ついさっき、演劇部の公演が終わったのだろう。舞台の上では、慌ただしく、書き割りの背景などが片付けられている。
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そして、陽香のための準備だろうか。大きなスピーカーが運び込まれている。
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周囲では、席を立つ人、その席を見つけて座る人と、観客の入れ替わる様がうかがえる。
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できれば、たくさんの人に見てもらいたい。陽香の晴れ姿を。でも。
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同時に、私は知っている。これから始まるのは、陽香が私だけのために見せてくれるステージであることを。
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その認識は自惚れなのかもしれないけれど。でも、確かに陽香は私にそう言った。
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たった一人に向けた愛の歌、私に向けた最高の歌を聞かせてくれると。サイコーのステージを見せてやると。
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夏休みの補習最後の日に、そして昨日も、そう言っていた。サプライズであることを忘れているのか、意識もしていないのか。
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それでも、本気で私を驚かそうとしているのだろう。それだけは伝わってくる。だから、私もあえてそれ以上聞かず、今日を待っていた。
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いつの間にか、ステージの幕が下りていた。
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腕時計を確かめる。ああ、もう1分を切っている。
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自分の時間を計る感覚には自信があったのに。ステージや周囲の様子を見ているつもりで。
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いつの間にか、陽香のことだけを考えていたみたいだ。ステージの変化にも気付かないほどに。
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ああ、こんなに、私は。
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興奮しているんだ。自分でも気付かぬほどに。そして、緊張しているみたいだ。
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これから始まる陽香のステージを、一瞬たりとも見逃さぬようにと身構えながら。
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一言たりとも聞き逃さぬようにと。陽香の歌を、言葉を。
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さぁ、もうすぐ幕が開く。……はずなのだが。
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しかし、幕はなかなか、開く気配を見せない。
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なにか、トラブルでも起こっているのだろうか。ステージの進行に余裕はないと思う。好きで遅らせているわけではないのだろうけど。
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ああ、こんな時でも、陽香は遅刻してしまうのか。9月になってから、朝はしないようになっていたというのに。
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それも陽香らしい。もしかして、まだ、飛び出す勇気が持てないでいるのか。
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陽香、がんばれ。見たいんだ、ここから、陽香を。
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そう願いながら、ステージを見つめていると。
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ああ、なにか幕の向こうで騒ぐ気配がある。動き出している。ようやく、かな。
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私が、安堵の息をつくのと同時に。
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客席側の照明が落ちて。
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ステージの幕がゆっくりと上がり始めた。
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有遊愛来
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(お……、やっと幕が開くか)
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無事に、陽香のステージは始められるみたいだ。それだけで、ほっとしている自分がいる。
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幕の上がったステージの中央に、陽香が出てくる。その後ろに、もう二人くらい? 暗くてよく見えないが。
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さぁ、なにをしてくれるんだろう。歌を歌うのだろう。陽香が? うまいのだろうか。聴いたことはないから、わからない。
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陽香の参加しているバンドのCDは、ゴクヒだそうで、貸してもらえなかった。
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有遊愛来
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(お楽しみの一環だぜって、言ってたっけ)
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それだけ、このステージに気合いが入っているんだろう。でも……。
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少し、不安もある。陽香はかなり陽気に振る舞う方だが、あれは自分に勢いをつけるためにしているところもあると思う。
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夏休みの間、合宿以外でも何度か会った。少なくない時間、陽香を見てきて、時折、臆病さ、慎重にすぎるところを見せていた。
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土壇場で、腰がひける、そんなところが、陽香にはあるように思える。普段の陽気さは、それを突き破ろうとしている、陽香なりの努力ではないだろうか。
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その陽香の弱い部分。それがこのステージの上で、出ないといいけど。
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有遊愛来
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(陽気さも、臆病も、どちらも陽香のおもしろいところだから、それはいい)
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有遊愛来
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(ただ、せっかくのステージだから。弱気が出て、失敗してほしくないな)
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でも。
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grpo_bu2
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古場陽香
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あ、あ、あ……、あの……、えっと、あー……、その、コ、ココ、コバ、ヨーカ……、だ、で、です……。
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古場陽香
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え、えっと、い、いつもは、その、ス、ストレンジ・マグネットってバンドで、やってて……、えっと、時々、新町とかで、ラ、ライブとか……。
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有遊愛来
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(ダメみたいだな……)
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ああ、ガチガチに緊張しているじゃないか。
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古場陽香
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キョキョ、今日は、オ、オオ、オリジナルの曲をヨーイしてきていて……。
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これでは、まともに歌えそうもない。
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grpo_bu1
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そのステージ上の陽香の様子を見て、私の周囲、客席から笑い声が漏れる。
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……ちょっと、不愉快、だな。陽香はいつでも精一杯やっている。今はそれが伝わらないのが、残念だ。
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有遊愛来
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(がんばれ、陽香)
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有遊愛来
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(最高のステージを見せてくれるって約束だろう?)
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有遊愛来
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(すごい、期待してるんだ。陽香がどんな歌を聴かせてくれるのか)
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有遊愛来
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(そして、なにを私に伝えてくれるのか、楽しみにしてるんだ、私は)
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声をかけることはできない。ただ、陽香を見つめる。期待を込めて。
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有遊愛来
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(陽香……)
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grpo_bu2
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grpo_bu1
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古場陽香
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……!
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一瞬、目が合った? 気のせいか?
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古場陽香
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あ、あ……。
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確かめることはできなかった。ライトが点いて、スピーカーから最初に響いてきたのは。
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古場陽香
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AA愛!
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マイクなんて必要ないかと思えるほどの、陽香の声。そして。
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響き渡るギターの音。講堂中へと、陽香のピックの動きに合わせて。そして、そこに重なってくる、また、声。
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これも、最前列に座ったからだろうか、スピーカーを通してよりも早く、陽香のそのままの声が歌になって、言葉を乗せて、私に届く。
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フレーズを一つ、描き終わって。陽香の声が、「いま」と結んだ直後に。
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弾けるように、ドラムが飛び出し、ギター、ベース、すべてが織り重なって広がって、そして私の体を叩いてくる。
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陽香の声が、そこに重なって、そして、歌になる。歌い上げられる。
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それは、愛の歌。歌詞のひとつひとつまで、聞き取れる。どれほどの音の中でも、陽香の声で私に届く。
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わかるよ、陽香。
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どれだけの想いを、この歌に込めてくれているか。私と話すようになってから、どれほどの時間、陽香がこの想いを抱えていてくれたのか。
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この歌となって響くほど。
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陽香の歌に包まれながら、私は思い出す。
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夏休みに一度だけ、陽香に連れられて、ライブハウスに行った。
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初めてでなにもわからなかった私に、陽香はいろいろ教えてくれた。その中でも特に。
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印象に残ったのは。
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有遊愛来
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(いい音、出してたらとにかくノってけ、楽しめ、か)
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その時は、いまいち、ピンと来なかった。だけど。
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今なら、わかる。
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有遊愛来
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(いい音、出してるよ、陽香)
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立ち上がる。座っていられないから。スピーカーから鳴り響く、ドラムの刻むリズムに、鼓動が早くなる。
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自分一人でもいい。かまわない。立ち上がることで。
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陽香の声が届いていることを、伝えたい。
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今、陽香が歌い上げるこの曲の、最後の一小節まで。
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受け止めたい。
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これは、陽香が私にくれた歌なのだから。
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その声を。
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聞き遂げよう。
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これは、愛の歌。歌われているのは、陽香の想い。でも、それは私の気持ちと響き合う。
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伝わるよ、陽香。叫びだしたいくらい。
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歌う言葉の中で積み上げられていった時間、それは。私の中で、陽香の存在がどんどん大きくなっていった時間でもある。
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陽香と話す、過ごす、1分ごとに、どんどん興味がわいてくる。その時間がとても楽しい。
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話していた時間を価値のあるものに変えてくれる。明日また、会う時を楽しみにさせてくれる時間。
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それを、今、陽香が歌ってくれる。
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だから、これは、愛の歌。私と陽香のためだけの、歌。
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この講堂の中、このステージを見ている者がどれだけいても。
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この歌の意味を本当に知ることができるのは、陽香と私だけ。
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それは、なんて誇らしいことなんだろう。なんて今は、誇らしい時間なんだろう。
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たった数分のステージ。あふれ出す音と陽香の歌に彩られた、わずかな時間。でも。
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最高のステージ。私にとって。そして、見事に飛び出して輝く陽香にとって。
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最後の声が響き、ギターの音が鳴って、このステージを締めくくろうとしている。ほら、今、最後の音が鳴って。
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講堂に、響いていく。吸い込まれるように、消えていく。
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その残響をもう一度、陽香の声が、切り裂いて。その、言葉が。
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古場陽香
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愛来!
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届いた。確かに、届いた。私の名前と。
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古場陽香
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愛してる!
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陽香の気持ちが。
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まだライトの光があふれてるステージの上から、私に向かって、まっすぐに。
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古場陽香
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来いよ!
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その手が伸びる。
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有遊愛来
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陽香!
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駆け出していた。最前列の真ん中の席から、ほんの数歩。そして、陽香の手を取る。ステージへと、陽香が引き上げてくれる。
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どよめきが混じってきた歓声を背中に、あがったステージの上で。
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古場陽香
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あ、愛来!
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息を弾ませている陽香に。
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古場陽香
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オ、オレ……。あの、愛来のこと……。……!?
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私は、抱きつく。そして、間近で、陽香だけに届くように。
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有遊愛来
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最高だった。
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囁く。そして、そのまま。
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有遊愛来
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ん……!
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唇を、重ねる。
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ここがステージの上とか、関係ない。学園祭の真っ最中で、講堂に集まっていた全員に見られていることなんて、問題じゃない。
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最高の歌を、私にくれた陽香に、ただ、伝えたかった。
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有遊愛来
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(愛してる……!)
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緞帳が下がりきるまで、陽香と、その唇から離れられなかった。
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生まれて初めて感じた、気持ちの昂ぶり。
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歌、ロック、拍手、歓声、キス、陽香の最高のステージが終わっても。次の準備を始めたい実行委員にステージを追い出されても。
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胸の鼓動はいつまでたっても収まらなかった。
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