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窓から響いてくる雨の音。
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けっこう強く降ってるのに、ガラスが一枚あるだけで雨音はずいぶん、柔らかく聞こえる。カーテンを閉じてるのもあるのかな。
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今日は久しぶりに、放課後の仕事が早く終わった。だからこうして、下校の時間が来るまでの間、この休憩所で先輩と二人きり。
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まぁ、早く終わらせたってのもあるんだけど。頼まれて積み上げられた仕事の最後の一つが終わった瞬間に、相原先輩の手を引っ張って、ここに誘った。
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だって、あとちょっとでも、教室に残っていたら、また誰かに見つかって、なにか頼まれそうな予感がしたんだもの。
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そんな小さな努力のおかげか、ここに来るまでの間も誰にも見つからず、声もかけられなかった。うん、ラッキー。
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夕べのテレビのこと、朝ご飯の時にやっちゃったわたしの大失敗とか、そんなこと。先輩、笑ってくれて、楽しんでくれてはいたけど。
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でも、せっかくの話のネタがちょっと空振り気味に終わっても、別に悔しくない。
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だって今、こうして先輩と二人っきりでここにいられるんだから。
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5月のテストが終わった日に見つけた、この休憩所。先輩と二人だけの秘密の場所。
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ここに来ちゃえば、誰にも見つからない。誰からも、仕事を頼まれることもない。二人でお茶とか飲みながら、時々、お菓子を食べながら、ゆっくりとおしゃべりできる場所。
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先輩も気に入ってくれたみたいで、今日みたいに早く仕事が終わった日には、どっちが誘うわけでもなく、ここに来るようになった。
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そして、ソファに座って帰る時間が来るまで、ゆっくりおしゃべり。先輩のこと聞いたり、わたしのことを話したり。
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うれしい。こんな場所が見つけられるなんて。学校の中の秘密の場所。大好きな学校の中で、大好きな先輩と一緒にいられる場所。
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そう、ここなら、今みたいに雨の音を聞きながら、ゆっくりとした時間を過ごせる。
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昼休みや放課後の大半は、先輩と二人といっても、それは仕事の時間。
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整美委員会の仕事、先輩が頼まれちゃう先生や他の人の手伝い。
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ほんとに、先輩とわたしがやらなきゃいけないこと? なんて思ったりもするけど、先輩が引き受けちゃうんだから仕方ない。
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わたしだって、先輩に出会ったきっかけが似たようなものだから、文句言えないし。
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そして、まだまだ新米のわたしは、足を引っ張らないように、ミスしないように、先輩の手伝いをすることしかできない。
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おしゃべりしようにも、緊張してて、そんなことできない。おしゃべりしながらの手伝いでミスなんかしたら、先輩をがっかりさせちゃうかもしれないし。
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そんなのやだから、手伝いの最中は、まじめにやってる。時々話すこともあるけど、やってることの質問だったり、先輩からの指示だったり。
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ここでおしゃべりするようなこと、話せない。だから、ここがとても大事な場所になる。
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気兼ねなく先輩も一緒に、いろんなおしゃべりができる場所。それがここ、二人の休憩所。
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今日の話のネタはちょっと不発だったけど、それもきっと、天気のせい。雨の音、なんか落ち着くんだもん。
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もうすぐ下校時間だけど……、もっとずっと、二人でこうして聞いていたいな……。
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牧聖苗
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ね、先輩……。
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そんな自分の中でわき上がってきた気持ちを伝えたくて。うん、そうねって言ってほしくて。
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隣に座る先輩の方に声をかけてみたら……。
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牧聖苗
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あ……。
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相原美紀
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………………。
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え、いつからだったんだろう。
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先輩、肘掛けを枕にして、眠っていた。ちょっと窮屈そうかも。ソファの真ん中くらい、座っていた場所から、そのまま横に倒れ込んで。
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牧聖苗
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先輩……?
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相原美紀
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………………。
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もう一回、声をかけてみるけど、返事はなくて。
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牧聖苗
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えっと……。
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どうしよう。起こした方がいいのかな? でも……。
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今、すぐに聞いてほしい話はない。ちょっと思いついたことに、うなずいてほしいだけだったから。
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牧聖苗
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疲れてたのかな……。
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今日もいっぱい、仕事や手伝いがあったから。ここに来たかったから、がんばって片付けたから。
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終わったら休憩所でゆっくりしましょうねってわたしが言って、先輩もそうねって言ってくれて、それで二人で一生懸命、仕事をしたから。
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それに……、先輩は三年生だもん……。受験勉強とかもあるんだろうし……。
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牧聖苗
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受験、かぁ……。
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先輩、言ってた。整美委員会の活動も秋には引退するって。受験勉強もあるからって。受験……、そして。
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牧聖苗
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卒業……。
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どうしよう、急に寂しくなってきた。怖くなるくらいの寂しさ。
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来年の春には、先輩は卒業してこの学校からいなくなっちゃう。
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もう、あと一年も一緒にいられないんだ……。
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牧聖苗
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先輩……。
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たった、それだけしか一緒にいられないのに。
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いつの間にか、わたしは座っていた場所から立ち上がり、寝ている先輩のすぐそばに立っていた。
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肘掛けに頭をもたれさせて眠っている先輩の顔のすぐそばに。床の上にぺたんと膝をつけば、先輩の顔はすぐそばで。
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牧聖苗
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あと、どれくらいの時間、ここで先輩と一緒に過ごすことができるのかな……。
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さぁーっていう雨の降る音と、ガラスを雨粒がたたく音。その両方が、カーテンにつつまれてやわらかくなって、休憩所の中に響いている。
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放課後ももう遅い時間の奥校舎は、人が少なくなってとても静かで、その中でわたしと先輩だけが、ここでその音を聞いている。
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牧聖苗
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ね、先輩……。
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声はつぶやくほどの小ささ。起こしたくないから。ゆっくり眠っていてほしいから。でも。
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そうしている間にも、先輩といられる時間は減っていく、そんな気がして。
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少しずつ、減っていく時間の中で。
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わたしと、先輩の関係ってどこまで進んでいけるんだろう。
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友達からって言ってくれた先輩。その言葉はほんとで、今、わたしと先輩は友達。うん、委員会の先輩と後輩じゃなくて、それ以上に仲良くしてもらってる。
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ここにいる時間は、いろんなおしゃべりをしてきてる。家でのこと、学校でのこと、いろんな話をわたしはして、先輩は聞いてくれて、先輩もいろいろ話してくれて。
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そして、こんな。
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相原美紀
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………………。
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まじめな先輩。しっかりしてて、大人っぽくて。絶対に授業中に居眠りなんてしないんだろうな。そんな先輩が、今、わたしの目の前で寝てる。
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それくらい、気を許してくれてるんですよね、先輩……。
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友達だったら、ただの友達だったら、こんなこと、ないですよね、先輩なら。
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牧聖苗
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わたし、それだけ、特別なんですよね?
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牧聖苗
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ね、先輩……。
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床に座ったまま、ソファに肘をつけば、先輩の顔はもう、間近で。
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そんなこと、するつもり、なかったんだけど、頭の中でいろいろと回ってることが止まらなくて。
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牧聖苗
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………………。
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わたしは、ゆっくりと、顔を先輩に近づけていって。
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牧聖苗
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ん……。
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その唇に、触れた。自分の、唇で。
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目を閉じて、真っ暗な中、唇にだけ、自分のものじゃない、感触が伝わってきて。
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やわらかい、先輩の唇。かすかな寝息が、頬のあたりをなでていて。
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牧聖苗
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(あ……)
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牧聖苗
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(わたし、今……)
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牧聖苗
>
(キス、してる……、先輩と……)
>
牧聖苗
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(キス……、しちゃってる……)
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それだけ。
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頭の中、グルグルしてて、それだけしか考えられない。心臓は痛いくらいに鳴ってるのに、すごく遠くの方から聞こえてくる感じ。
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ただ、先輩とキスしてる。唇同士が触れ合ってる、その感覚だけがいっぱいに広がっていて。
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牧聖苗
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(先輩……、大好き)
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もう、それだけしか残ってなくて。もう、ずっと……。
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このまま、こうして、いたくって……。
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相原美紀
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……ん……。
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かすかな、先輩の息づかいとか、それだけを感じていたくって。
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相原美紀
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……ぇ……?
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他には、なにも考えていなくって。たとえば。
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先輩が、目を覚ました後のこととか。
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相原美紀
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……牧、ちゃん……?
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すっと離れて消えていく唇の感触。そして、その声。
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相原美紀
>
今……、なに、してたの……。
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その瞬間、わたしの全身が凍り付いた。頭の中から心臓まで、全部。
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牧聖苗
>
……!
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閉じていた目を開いて、わたしは先輩から体を離した。顔を。勢いよく、浮かせていた腰で尻餅つくみたいに。
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牧聖苗
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ぁ……。
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同時に、全身から冷や汗が噴き出した。先輩の顔を見ちゃったから。
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びっくりしたみたいに。そうだよね、びっくりするよね。起きたらいきなり、わたしがキス、してたんだから。
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目をちょっと見開いてわたしを見てる。気のせいかな、ちょっと青くなった顔色で。それだけ……。
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びっくりさせちゃったんだ……。
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牧聖苗
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あ、そ、その……。
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牧聖苗
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わ、わたし……、その……。
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どうしよう、なにを言えばいいんだろう。ごまかす? なにを? ううん、そんなことできない。
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だって、自然にそうなっちゃったんだもん。そうなるくらい、キス、したかったんだもん。
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牧聖苗
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キス……、しちゃいました……、先輩に……。
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でも、どうしてかな……。笑うことができない。うれしかったから、笑う? 照れて、笑う? ううん、どっちも、できない。
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だって……。
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牧聖苗
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その、だって……。
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だって、先輩……。
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牧聖苗
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すごい、気持ちよさそうに、寝てたから……。わたしの、隣で……、ほんとに、気持ちよさそうに……。
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牧聖苗
>
その、顔が……。とっても、きれいで……。だから、わたし……。
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牧聖苗
>
なんだか……。
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それだけだったのに。ただ、すごい先輩が好きだから。その気持ちがいっぱいになっちゃったから。
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牧聖苗
>
キス、したくなっちゃって……。
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どうしてか、わからないけど、そうしたくて止まらなくなっちゃって。それだけなのに。
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相原美紀
>
………………。
>
どうして……。
>
牧聖苗
>
キス、しちゃって……。
>
どうして、先輩、泣いてるの? 涙、出てるの?
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相原美紀
>
………………。
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もしかして、わたし……。
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もしかして、しちゃいけないこと、しちゃったの?
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牧聖苗
>
ご……。
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どうしよう、なにを言えばいいんだろう。もう一度、そのことだけが頭の中いっぱいになる。でも、出てきた言葉はたった一つしかなくて。
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牧聖苗
>
ごめんなさい……。
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そう言って、もう、先輩の顔、見られなくて、うなだれた。床にぺたんと尻餅ついて、両手も床について。ああ、もうこれ、土下座だ。でも、それぐらいわたし……。
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とんでもないこと、しちゃったんだ……。
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牧聖苗
>
わ、わたし……、ごめんなさい……。ご、ごめ……。
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言葉が詰まる時に歯を食いしばらないと涙が出てきそう。どうしよう、どんだけあやまればいいんだろう。
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牧聖苗
>
わたし……、勝手に……。
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勘違いしちゃってたのかな? しちゃってたんだ……。だって。
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相原美紀
>
……あ、う、ううん、いいの、そうじゃなくて……。
>
先輩、泣いちゃうくらい、ショックだったもん。わたしが、キスしたから……。
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相原美紀
>
あ……、こ、これは……。
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いつもとちがう、戸惑った声。わたしがとんでもないこと、おしゃべりで言った時とはちがう、すごい、困った、声。震えている、声。
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相原美紀
>
ちょっと、びっくりした、だけ、なの……。
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ちがう、きっと、ちがう。それだけじゃ、ないんだ……。
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相原美紀
>
………………。
>
牧聖苗
>
………………。
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だめ、もう、言葉が出ない。あやまることもできない。ただ、顔を上げることもできない。先輩の顔を、見るのが怖い。
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その、凍り付いた、顔を。今の、声、みたいに。
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相原美紀
>
……今日は、もう、帰りましょう。
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先輩の声が、頭の上から降ってくる。いつもと同じ、やさしい声なのに。
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相原美紀
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……ね? もう立って、牧ちゃん。
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やさしい話し方、なのに。
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牧聖苗
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……はい……。
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わたしには、まるで氷の塊みたいにぶつかってきてる。先輩の声が、耳のすぐそばで凍って、それがすべり込んでくる。頭の中に。
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牧聖苗
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(わたし……)
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牧聖苗
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(なんてこと、しちゃったんだろう……)
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grpo
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